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前田義昭という名の写真人の独白

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小咄.17 安保法案成立 —スミオのひとりごと220 No.320— 

安倍晋三  「おじいちゃんやりました」
岸信介(亡霊) 「このあんぽんたん、もっと巧妙な嘘をつけ。麻生くんが殴られたら助けにいくとかまる               で子供だましじゃ。わしが“声なき声”と表現したくらいの高度な嘘がつけんのか」

2015.9.19










by y-lu | 2015-09-19 13:38 | 小咄 | Comments(0)

凡庸なデザインが最高入選作になった不思議 ―スミオのひとりごと219 No.319―

 どうにも解らない。
 オリンピックマークの“原案”がどうして選ばれたのかいまもって不可解だ。いわれるようにヤン・チヒョルトのタイポグラフィーTransito(1931年) で構成したポスターのT.に、瓜二つというのは衆目の一致するところだ。当初、この案が抜きん出ていると高評価され最高入選作になった旨を、会見で永井が口にした。これを上回る作品がほかになかったのだろうかというのが単純で大きな疑問だ。名うてのデザイナーたちが他に1点づつ計103点も出品しているのに。今もって最後に残った入選作2点すら見る機会が提供されていないことに苛立ちを感じる。この事態に至っては透明性という観点からも新国立同様公表すべきである。誰がどの作品に一票を投じたか、最初から最後の入選作3点までを順をおって明らかにすべきだ。
 ボクの一番の疑問は、審査員の誰一人としてヤン・チヒョルトの書体を知らなかったのかということだ。審査員の一人のドングリ頭はその直前に同じ銀座のgggギャラリーで個展を開催していたとのことだ。ボクが同じ立場だったら次の個展は誰だろうかと興味をもつのが普通で、観にも行くだろう。同ギャラリーは地の利もあってデザイナーならよく足を運ぶところだ。少なくとも永井、細谷、浅葉のベテラン三人は、ギャラリーで観るまでもなくそれ以前から知っているはずだ。知っていれば酷似しているので審査員の名誉にかけて入選させないはずなのだが。では推した審査員はこの有名な書体を知らなかったのか ?
 知っていて推したのなら論外で、知らなかったとしても知見としての審査眼を疑う。いずれにしても審査員として失格だ。前にも言ったが剽窃したとする“原案”は、マークとしての完成度は高くないとボクは思っている。それが抜きん出て良かったという評価は、なにをもってしてなのか。そして、その後の修正作業は審査員全員がまったく知らなかったという。素人の組織委員会が独走したわけだが、じゃ発表前に修正案を知らされた時なぜ了解したのか。勝手に商標登録してしまったとはいえ、プライドにかけてもそれを覆す時間はあったはずだ。グラフィック・デザイン界の重鎮がほとんど他界した今、永井といえば日本デザイン村の村長的立場の人物だ。それがこのていたらくでは晩節を汚したといわれても仕方あるまい。
 再公募するとのことだが、ボクは審査員を一新して103点のなかから再審査したらいいと思う。(今回の出品資格に問題があるのは別にして) アホな審査員と組織委員会に翻弄されなければ103点のなかの一作品が日の目をみていたはずだ。何のために汗水垂らして製作してきたのか。こんな簡単に再公募されては出品したデザイナーたちは浮かぶ瀬がない。

2015.9.14












 

by y-lu | 2015-09-14 14:08 | 日常雑感 | Comments(0)

パクリ屋の烙印を拭い去りたいなら ―スミオのひとりごと218 No.318―

 オリビエ・ドビ側の訴訟続行の件などを前回書いた。
 オリンピック・エンブレムは組織委員会に却下されて使われないことが確定している。それなのに裁判を継続する根拠はただ一つ、佐野が盗作を認めていないというのがドビ側の理由だ。よくよく考えれば実際に使用されないマークなのに不思議で奇妙な裁判である。腹に据えかねたドビの心情が窺われる。
 ボクは法律のことは精通していない。だから佐野がドビの作品を剽窃したか否かが争点のみの裁判についてはよくは分からない。このように不使用の作品を争った判例はあるのだろうか。ボツになったオリンピックマークの著作権は組織委員会にある。入賞した時点で100万円の賞金と引き換えに佐野がもつ著作権を譲渡しているからだ。そしてドビ側はIOCに対して訴訟をおこしているとのことだ。どうもややこしい状態にある。
 一方、佐野は当初より盗用していないと主張しつづけてきて今もって変えてはいない。それならば会見をひらき、その根拠になる客観的資料などを提示して説明すべきだ。口だけでパクっていないと言っても説得力がない。それを証明するために作者として全精力を傾注すべきだ。
 そしてもうひとつ。この状況での提案を佐野に示したい。どうせ使わないオリンピックマークだ。まず組織委員会から100万円で買い戻すのだ。 (これは可能かどうか分からないが。ボツになったマークなのに通常の受賞状態のままなのは本来おかしい) それが無理なら日の丸だけとったものでもいい。このマークをそのまま自分の事務所のマークとして使うか新しい会社をつくって堂々と使う。それをドビに通告し新たに提訴させるか、あるいは名誉毀損でドビを反訴し佐野自身との裁判にするといい。(佐野のオリジナル作品と主張するかぎり現状のままでもドビを相手どって反訴できるはずだ) ドビと佐野の当事者間の係争関係を明確にした上で、司法の裁定に委ねる方法を模索すべきだ。
 パクリ屋の汚名を晴らしたいならこのくらいの努力をすべきだ。沈黙は金ではない。プライドがあるとしたら、そのための行動を惜しむなと言いたい。

2015.9.10














by y-lu | 2015-09-10 11:41 | 日常雑感 | Comments(0)

一番大事なことを曖昧にしたままの日本とベルギーのオリビエ・ドビ —スミオのひとりごと217 No.317—

 ベルギーのリエージュ劇場のシンボルマークをデザインしたオリビエ・ドビという人は、この盗作問題があって初めてその名を知った。
 TBSの「ひるおび」というテレビ番組では司会者をはじめ、オリビエ・ドビを寄ってたかって攻撃していた。ケンタッキー・フライドチキンの人形に良く似たスポーツ評論家や相撲に詳しい厚塗りのミュージシャン、タレント弁護士などが異口同音にこの機に乗じた売名だとちゃかしていたのだ。また同局の朝のバラエティで元宝塚がお互い日本人なんだからそんなに佐野のことを言うのはどうなんでしょうかというような発言をしていた。
 これらの人に言いたいのはあまりよく知らない分野のことは思いつきで発言しないほうがいいということだ。テレビでコメンテーターが的外れなことを言うと普通の視聴者は真に受けてしまう。その結果、ボクのような視聴者には無知をさらけだしコメンテーター自身の評価を下げることにもなる。ケンタッキー顔などはスポーツ評論で、日頃からその慧眼に敬意をもっていたのに残念だ。日本人だから日本人に肩を持つのが当然だというような、単純でトンチンカンなことを軽々しく言わない方がいい。
 言っとくが、原因はオリビエ・ドビではなく日本側にある。だから間違っても売名行為などというべきではない。パクった作品を決して認めようとはせず、問題を家族へのバッシングに転化して逃げようとする佐野こそ日本人として恥ずかしい。(佐野は在日らしいが、それは仕事とはなんの関係もない。また人種的なことで攻撃すべきではない) 
 オリビエ・ドビ側が盗作を認めないかぎり訴訟を取り下げないといった態度は見事だ。ボクがその立場であってもそうする。曖昧決着ばかりを計ろうとする集団無責任体制の日本人どもに鉄槌を加えてほしい。自浄作用が全く機能していない日本人には外圧に頼るしかない。勿論、裁判の結果はどうなるか判らないが。盗作問題でいろいろな人が現れたが、オリビエ・ドビが一番まっとうな人間のような気がする。

2015.9.6













by y-lu | 2015-09-06 11:49 | 日常雑感 | Comments(0)

日本の伝統の潔さがなくなった —スミオのひとりごと216 No.316—

 昔の日本人は潔かった。
 刀を携えた時代では自らの不始末には自らが腹を切って責を負った。自己責任の究極の発露だろう。今度のオリンピック関連の連続した二つの不祥事においては、責任という概念がぽっかりと抜け落ちていた。組織委員会事務総長の武藤敏郎という人は、会見で今回のエンブレム盗作問題で、誰かに責任を負わせるべきではないという趣旨の発言をしたことに少なからず驚かざるを得なかった。こんな感覚で取り組めば今の失態に至るのは必定だった。要するに失敗してもみんな仲良し組でいようねということだ。まるで幼稚園児のように誰々ちゃんを責めないでねと言っているのだ。
 腹まで切れとは言わないが責任者を明確にしベナルティを与えなければ示しがつない。それもトカゲの尻尾きりではなく、責任者に断を下さないと国民は納得しない。それを怠たって曖昧なまま再スタートしてもまた同様の結末にしかならない。その指導力を発揮するのは国民の代表の政治家しかいないが、これまたまったく機能していない。つい最近では、坊やのような顔をした議員が政治家枠などといって金を集め詐欺まがいのことをやっていた。すべてが機能不全に陥っている。

 と、ここで審査員代表の永井の発言をNHKのテレビが伝えた。
 注目して観たが僅かの時間で終わってしまった。それによると審査に関わったのは原案を選出したところまでで、その後の修正は組織委員会が勝手にやったというのだ。修正内容を知ったのは公表の一週間ほど前で仕方なく事後了承したともいうのだ。驚いてしまった。番組はそれだけしか伝えず短時間で終わってしまってこれまた中途半端だ。
 つまり、あの最終案は実質的に審査員が選んだものではないということなのだ。これは大問題だ。なぜ発表前に組織委員会に異議申し立てをしなかったのだ。これではメンツまるつぶれで審査員としての権利と義務を放棄しているといわざるをえない。また他の審査員にこのことを諮ったのか。それらがNHNのインタビューでは不明のままだった。これが事実だとすると審査員の権威を失墜させた永井の責任はまことに大きい。これらの背後で組織委員長の森がちらついてしかたがないのだけど。今後の続報をまちたい。

2015.9.4













by y-lu | 2015-09-04 07:27 | 日常雑感 | Comments(0)

オリンピックはすでに呪われている —スミオのひとりごと215 No.315— 

「国民から祝福されるオリンピックにしなければならない」
と、佐野案を撤回をした組織委員会の報を受けて安倍が言った。国民に祝福されたいなら、オリンピックそのものを返上することだとボクは思う。今となっては不可能だが。そもそもは石原が2016年のオリンピックを招致したことからはじまった。失敗に終わった時点で諦めればよかったのだ。石原が×××で障子紙を破る小説を書いた時代ならそれもよかったが、オリンピックで国威発揚を計ろうとする考えは古典的にすぎる。
 その後、安倍が世界に白々と嘘をついて2020年を招致させたのは周知のとおりだ。福島の事故による放射性物質の処理方法すら確立されていないというのに。もし福島で処理の不手際や再度の地震で建屋が崩壊し放射能が拡散すれば東京ですら住めなくなり、世界は東京オリンピックをボイコットするだろう。
 最初からこのオリンピックは呪われる運命にある。無理筋をとおしてきたからだと思う。その結果、新国立の白紙撤回に続いてエンブレムまでもがそうなった。政治家、役人、審査員のすべてがいい加減で責任感の資質が欠落しており、1964年のオリンピック時とは人の質が格段に劣化してしまった。それが今の日本の実状だ。
 
 と、ここで組織委員会の会見が放映された。
 内容をかいつまんでいうと、佐野本人はもとより永井も盗用を認めてはいないが、他の作品などで世間の批判が高まったから取り下げるというものだった。盗用かどうかは佐野本人がいちばんよくわかっているはずだ。専門家の見解では盗用ではないとこの役人は発言したが、この期に及んで往生際が悪すぎる。なぜ世間からこんなに批判が出ているかよく考えれば判ることだ。オリジナルとの見解を押し通すならなぜ取り下げるのだ。その上最終候補に残った他の二作品を発表しない手に出た。白紙撤回の判断は遅きに失した。自分はデザイナーとしてパクったことは一切ないと佐野は言ったが、言葉とは裏腹にオリンピックマークはパクリの集大成だったいえる。結局これも新国立同様に関係者の責任論をうやむやにした決着だ。
 
 ここでもう一度マークについて、松本清張的推理をはたらかせてみよう。
 最初から日の丸が堂々とした入れ方ではなく、小さく隅に入っているのは違和感があると言ってきた。ドイツ人ヤン・チヒョルトのタイポグラフィー展のポスターにあるT.の文字を見てボクは初めて合点がいったのだ。佐野はその個展は観たが記憶にないととぼけているが、実はこれが原案のネタ元だった。(当初はそれがスイスの会社のマークと思い、それほど似ているとは感じないと前に言った。ボツになったのはこのマークが商標登録済みだったから) ポスター展のT.と原案はとてもよく似ている。これをベースにアキを少し詰めたのが佐野のマークだ。ヤン・チヒョルトの三角部と黒丸は少し開いている。(この方がT.としては美しい) 黒丸はピリオドだ。そもそも日の丸が小さいのはパクった時点でピリオドを踏襲していたからなのだ。これで小さな日の丸が氷解した。
 次に修正を要求された佐野は、オリビエ・ドビのリエージュ劇場のマークをみつけてきた。ピリオドは日の丸となって原案からそのまま引き継ぎ右上の空いた部分に移動させている。ボクの推理ではこれが最初の修正案候補だったと思う。ところが三角部のアキやタテボウの太さを変えてもドビのマークと瓜二つだ。右下の三角部の説明も無理がある。原案がボツになり、続いて似ているといわれたら困るのでこの案の提出をためらったのではないだろうか。解決策として左下に三角部を入れると円がくっきりとする。(実際に提出した最初の修正案) これならドビはどこにもない。前にこのブログでも図で書いて説明した。それでOKになっていればこの問題は起こっていなかった。しかし、躍動感がないとか言われてここで最初の修正案(最終案)を出すはめになり今の事態に至っていると思う。
 こういうふうにみるとパクリの連続であり、トートバッグなどの一連の盗用問題が持ち上がっているのはさもありなんとしかいいようがない。パクリ体質がしみついており、それが方法論として自分自身のなかで揺るぎないものになっているようだ。スタッフも当然右にならえでやらざるをえないのだろう。
 オリビエ・ドビは盗用を認めないかぎり提訴を取り下げないと言っているらしい。これは当然だ。あいまいな決着ばかり計ろうとする日本人への強烈なメッセージだ。会見では展開例の写真を無断盗用したことが決定的のような話し方をしていた。ふつうのプレゼンテーションではこれはよくある。あくまでもプレゼンのツールとしてであり本来外部に出るものではない。しかし、オリンピックのコンペに出すなら万一を考えてこの程度の写真ならスタッフに撮りに行かせればよい。パクリが日常化するとこんなことすら怠っているということだ。
 また、白紙撤回に一人の審査員が反対したことも会見で言っていた。多分佐野の元部下だったらしいドングリ頭だと思われるが、もうアホとしかいいようがない。(修正案に反対した一人の審査員のことも前に細谷か浅葉ではないかと書いたが、そうではなくもう一人の女性審査員だったらしい。この両人も永井同様に情けない)
 再度公募するらしいがどういうかたちにするのだろうか。最終案に残った二案は日の目を見ないままになるのだろうか。佐野案は展開性が抜群だったらしいが、それならその二案とどれほどの差があるのか見てみたいのはボクだけではないはずだ。

2015.9.2
 
 
 
 












 

by y-lu | 2015-09-02 14:47 | 日常雑感 | Comments(0)