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前田義昭という名の写真人の独白

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度肝を抜かれた一枚 —スミオのひとりごと198 No.298— 

 まだ二十代の頃だった。
 その頃住んでいた近所の本屋にふらりと入った。なにげなく取り上げたのがアサヒカメラ(1973年12月号)だった。大阪時代では購読していた時期もあったが上京後はカメラもなかった(ボロボロのペンタックスSPはあったかも)しあまり手に取ることもなかった。買う気になったのは表紙の木村伊兵衛特集を組んだ文字が目に入ったからだった。木村伊兵衛の写真は以前から好感をもっていたからだった。本をパラパラとめくりライカで撮った写真をためつすがめつ眺めた後ページをすすめていったらその写真群に出会った。連載していた『地上』の最終回で長野の白骨温泉を撮影したものだった。そのときその一枚になんともいえない嫌悪感を感じた。木村の写真を見たあとだったからよけいそうだった。撮影者は森山大道と記されてあった。それまで知らなかった名だった。その写真がこれだ。
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 当初嫌悪感をもったものの、後日何回もページを開く毎に不思議に惹きつけられるようになっていった。たとえは悪いが麻薬みたいなもので間が空くとまた見たくなるのだった。それはいいとかわるいとかの感覚とはまた違って中毒にかかったようなものだった。
 当初は露出の失敗か、あるいは暗部を意識的につぶして焼き込んだものか判らなかった。どちらにしてもよくこんな写真を出稿したものだと思った。よく使われる名言風にいうと “出すも出したり載せるも載せたり” というところか。写真でこんなインパクトを感じたのは初めてだった。まさに度肝を抜かれた写真だった。映画でいうと、かつてヌーベルバーグの作品を観たときの衝撃に等しかった。
 それからだ、森山大道の作品に注目するようになったのは。ブレ・ボケや極端なコントラストで既成の価値観をゆさぶる手法に衝撃をうけつづけた。年譜をみると出身校の大阪第二工芸高校図案科が目に入った。これはボクと同じじゃないか。おまけに中退まで同じだ。まったく知らなかった。このことは今まで書いたことはなかったが、ここで初めて恥ずかしながら告白するものだ。グラフィック・デザイナーを経由していたのでそのことでも親近感を感じていた。森山が若くして写真に転向したのとは違ってボクは四十代後半だったが。
 時は四十年以上経ったが、いまだにこのページを時々開いている。出遅れた自分を無意識に鼓舞しているのかもしれない。もし、今の編集者に当時を置き換えればこれを採用する眼力などないだろう。あの頃はカメラ毎日などもありカメラ雑誌が元気な時代だった。停滞を打ち破る新しい写真雑誌がでてきてほしいものだ。

2015.4.21

 
 













 
by y-lu | 2015-04-21 14:40 | 日常雑感 | Comments(0)

不便を愉しむ —スミオのひとりごと197 No.297— 

 世の人は便利にとびつくがボクは不便にとびつく。
 そんな言い方をすると天の邪鬼とのレッテルを貼られるだろう。だがそれもあながちわるくもない。便利便利へ草木もなびく時代だからこそあえて不便さに目を向けたい。そこにものごとを愉しむ奥義がひそんでいると思うのだ。「なんや小難しいこというなぁ、このおっさん」。悪口をたたいてページを閉じるのをちょっと待ってほしい。
 ひとつのレンズを例に話をしたい。それはミノルタ・ロッコールQE35㍉F4。「えっ、F4。また暗いレンズやんか」ときょうびのカメラ小僧たちはバカにするだろう。たしかにこのレンズは1960年頃の旧製品で、カメラ小僧たちがかげもかたちもなかった頃のものだ。おまけにプリセットといって絞りを手動でやるものだ。オートで撮ることしか知らないカメラ小僧にとって酔狂もいいとこかもしれない。一眼レフだから開放でピントをきめてから絞りを当初の位置にもどす必要がある。それを忘れると露出オーバーのネガになる。面倒でリスクが多いと思うかもしれないが、その張りつめた意識でいられるのがいいのだ。機械まかせのオートでやればなんでもないのにと思うだろう。そのあたりは最初からデジタルから入った人には解りにくいことかもしれぬが。
 すべてこうあるべきとは言わないが、ものごとには不便さ(原初的)のプロセスを経て本来の面白味を感じることがある。その通過儀礼があってこそものの本質がわかるのだ。カメラの場合マニュアル機の操作をこなせて露出がどんぴしゃに上がった時のよろこびは無上だ。それを経過してオートにいくのはまだいい。いきなり押せば写るオートだと同じ出来上がった写真でも感興の度合いがちがうと思うのだがどうだろう。
 以前、海外に行ったときその種のカメラを持って行き後悔したことがある。車窓から撮ろうとしたとき即応性がないのだ。むしろマニュアルの方が適応する。露出と距離をセットしておきシャッターを押すだけの状態にしておけばこのほうがスムーズだ。そんな例もありオートは万能ではない。また電池がなければ動かないのは、道具として決定的な欠点だと思う。
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 奥に引っ込んだ小さい玉がいい様子でしょ。SR-1とのバランスもいうことなし。ライカを思わせるボディの曲線がいい。そんなわけで最近急にミノルタづいている。食わず嫌いだった。何十年後かに初めて評価するというのもこれまた機械カメラの面白さだと思う。デジタルではこんなことはあり得ないだろう。やはり金属の手動カメラだからこそだ。ボタンを押せば写るカメラはボクの脳にシゲキをあたえない。              (今回からタイトルの入れ方を変えました)

2015.4.17
by y-lu | 2015-04-17 18:08 | カメラ全般 | Comments(0)

スミオのひとりごと.196 No296 〈川崎13歳中学生の死でみえたものみえなかったもの〉

川崎13歳中学生の死でみえたものみえなかったもの
 
 この少年の生まれ育った故郷を知ると、そこから離れさえしなかったらと誰しも思ったにちがいない。のどかな島で釣りなどをして自然とともにあった生活から一転して、生き馬の目を抜く世知辛い風が吹く都会に移住せねばならなかった。事件のあったあたりはまさしくそんな場所だ。
 LINEというコミュニケーション手段があるらしい。というのもボクはケイタイを所持していないからだ。なぜかってきかれるとただ必要としないからというほかない。時々持っているのを前提で話をされる。一瞬ムカっとくるが今の世の中はそういう仕組みになっているからと思うしかない。そんなわけでLINEはよくは知らないが、この少年の死に大きくかかわっていたことは間違いないだろう。この年代の子供たちにこんなパーソナルな通信手段が必要なのだろうかと単純に疑問を感じる。諸刃の剣なのだろうがよくないことに使われる方が圧倒的に多いと思う。昔からの家庭の固定電話なら誰が出るかもしれないから、深夜に呼び出しなどできないだろう。従属的な関係を強いそれを拒否すればバッシングをうける。そういう閉鎖的な連絡手段がこの世代に悪影響を与えつづけるのは間違いないだろう。それをこの事件がおしえてくれている。
「パン食べる」とあの日母親に言ったあと出て行ったらしい。このセリフに少年の家庭の風景がみえてくる気がする。ひと言でいえば非常に乾いた親子関係なのではないだろうか。この母親はいったんは止めたらしいが、なにがなんでも止めなかった。たぶん少年はからだを張ってでも止めてもらいたかったのではないだろうか。少年のこころのうちに今夜殺されるかもしれないという予感があったに違いない。少年は母親から愛情をそそいでもらっていないと日頃から思い、これが決定打になったのではないだろうかとボクは推測する。それゆえもう死んだってかまわないとの思いがこころを支配したかもしれない。
 中学一年生といえば昨年までは小学生の子供だ。親の庇護がまだ必要な歳だ。それも今年から学校に行っていなかったという。目にアザができていたらいくら仕事が忙しくても普通なら尋常じゃないと思うはずだ。学校関係者にも非難は及んでいるが所詮は他人で、その程度の人間しかいないと思った方がいい。最後は肉親が守らなければならない。昔は他人でも近所に親身になって助けてくれる人もいたが今ではなかなかいないし、まして都会ではむつかしい。
 ボクは一番悪いのは母親だといいたい。子供を守る責任を放棄している。マスコミの識者といわれる人たちの論調をみていたが肝腎のここを言う人はいなかった。腹で思っていても被害者の親だからか。それともそう思わないのか。あるいはボクの指摘がまちがっているのか。この事件はいつまでもこころのなかに澱のようにとどまっていっこうにぬぐいされないのだ。
 先日,現場に行ってきた。おびただしい数の花束があった。潜水夫が証拠品の捜索をしているところだった。重いむなしい空気が晴天にもかかわらず淀んでいた。写真を焼いたらおって載せてみたい。

2015.4.2

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 追記
 その日の写真がやっとあがった。ボクはデジタルではまったく撮らない。印画紙に焼き付けるのも暗室がないのですぐにとはいかない。だからといってデジタルで撮る気にはなれない。印画紙の質感が好きなんだ。膨大な量の花束だったがいまは片付けられているのだろうか。

2015.5.28
by y-lu | 2015-04-02 21:38 | 日常雑感 | Comments(0)