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前田義昭という名の写真人の独白

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スミオのひとりごと.98 No.158    

懐かしいアサヒペンタックスSV
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 昭和三十年代後半の頃で、今から五十年近く前の話です。
 当時は生まれ故郷の大阪で暮らしていました。デザインの見習修行をしていた頃ですが、縁あって横尾忠則氏の実兄のN氏が主宰していたデザイン事務所にいました。その事務所が入居していたビルは北区の老松町というところにありましたが、今はその町名はないようです。
 N氏は写真とデザインの二足の草鞋をはくとても器用な人でした。もう八十近くになると思いますが、今でもご健在です。顧みると、とても愉しい会社で色々と面白いことを経験させてもらいました。今写真をやっているのは、N氏の影響によるものです。でなければ写真との接点はなかったと思います。
 広告の制作に携わっていましたが当時はパソコンなどもちろんありませんし、今のように分業化もされていません。毎日机に向かって写植を鋏で切り、台紙にセメダインで貼り付けていました。当然コピーライターなどいなくて、自分で書く訓練をさせられました。だいたい小さなプロダクションにコピーライターなんているわけがありません。まあ、そんなおおらかな時代でもありました。東京と違って大阪でしたからね。
 N氏も器用な人で、写真、イラストレーション、デザイン、コピーとなんでもござれでした。その上、説得力のある弁舌も兼ね備えていました。その影響下にあったので、見よう見まねでコビーを書く技術を身につけました。イラストレーションや写真もそうです。事務所に暗室がありましたのでカメラマンに紙焼きの手伝いをさせられ、それもついでに憶えました。そういえばその時代は、撮影の時モデル自身がメークアップをしていました。スタイリストやメイクアーチストなんて存在は影も形もありません。
 仕事が一段落した時などは、N氏の号令でスタッフみんなでよく京都へ繰りだしました。喫茶店に入ってはみんなで長時間だべっていました。(N氏は酒が飲めない) 当然、写真を撮りに行くことも兼ねていましたのでカメラが必要だと言われボクも月賦でアサヒペンタックスSVを買いました。初めて買ったカメラです。その当時はどれがいいのかも判らず、N氏の薦めでこれを手にしたのです。
 実はその前にカメラをもらうチャンスがありました。ボクがカメラを持っていないので、N氏が自分のミノルタオートコードをあげるといわれたのです。しかし当時、二眼レフは古くさい感じがしたのと6×6ではなく35㍉が欲しかったので辞退したのです。今だったらすんなりといただくのですが。現に一台所有しています。これで撮ったニューヨークを『ニューヨーク模様』として雑誌に連載し、その後ブログで継続して続けました。現在は休止しています。これもとてもいいカメラだったのです。
 東京へ出てカメラを知りだすと、最高峰のニコンFが欲しくなってきました。すでにSVは手元になく、代わりにSPを持っていましたが、何としてもあこがれのニコンFが欲しくなります。中古のFを手に入れるといつしかペンタックスは忘却の彼方へと去って行きました。ニコンFはもちろん一番頼りになるカメラです。それはいつか書いたと思います。しかし、思いがけなく最近再びSVを手に入れると懐かしさが込み上げてきました。今これを手にして、なかなか捨てがたい味があると再評価しています。
 スタイリングを今一度見直すと角の三角形が絶妙の角度で切られていて、この角度がカメラをとても小さくスマートにみせています。同時代のミノルタSRT101と較べると、ほぼ同じ幅ですが角張っているのでとてもデカくみえます。そして、巻上げレバーのカタチが秀逸です。ボディとの統一感がたいへん良くとれているのです。以前、キヤノン7Sというカメラを気に入っていましたが、巻上げレバーだけがダサくてこれには目をつむって使っていました。その点、SVはとてもバランスがとれています。再び手にして改めて感じました。SP型からボディのデザインが変更され、レンズ取り付け部が曲線になりました。SVまでの、ペンタ部から直線のエプロンが特徴的で、それがデザインの良さに結びついていたのですね。
 そんなわけで懐かしいペンタックスを取り上げました。みんなで京都へ撮りに行った当時の作品が出てきたのでお見せします。祇園で舞妓さんが通りかかったときの一瞬です
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 写真の裏にデータが書いてありました。アサヒペンタックスSV・タクマー55㍉F1.8、ネオパンSS、絞りF8の60分の1秒。この写真も懐かしいです。舞妓さん、お元気なら六十代でしょうね。一瞬のことだったのでバックの格子にピントがきていますが、結果として人物のぼけが効果的かもしれません。

2013.2.28
by y-lu | 2013-02-28 00:20 | カメラ全般 | Comments(0)

スミオのひとりごと.97 No.157    

「抗議をさせていただきました

 中国のレーダー照射事件で、小野寺防衛大臣が中国に対して抗議をした時記者会見でこう語っていた。聞き捨てならないと思った。政治家はなんでもかんでも「させていただきました」という言い方をすると、前にも書いた。それが丁寧でいいと思っている節がある。
 こんな言い方をするからますます中国にバカにされるのだ。どうして「強く抗議をしました」と当たり前の言い方ができないのだろう。まったく言葉の使い方も知らないのだ。させていただくと言うのは、例えば相手の配慮で取引ができたような場合に、「おかげさまで取引をさせていただきました」などと言う。つまりは感謝の気持ちが込められているはずだ。小説家でもある石原慎太郎なら絶対にこういう言い方はしないはずだ。
 被害を受けた側が、こんな言い方をするなんて聞いたこともない。周囲に教えてやる人がいないのだろうか。すくなくとも安部首相が注意をすべきである。しかしながら、その当人も同様の言い方をしているので無理ということか。

2013.2.23
by y-lu | 2013-02-23 08:52 | 日常雑感 | Comments(0)

スミオのひとりごと.96 No.156    

ニューヨークの『フレンズチャリティー写真オークション』に参加して
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                  (パンフレットのキャプション表記中、“Sanya”は間違いで“Yanaka”が正しい)
 
 このオークションの趣旨は、カンボジアのアンコール小児病院の運営資金に充てるためのものです。ニューヨーク在住の井津建郎氏(写真家)が提唱し、第15回目(2012年度)になるということですが、それまでまったく知りませんでした。
 あるところを介しての呼びかけにボクも及ばずながら参加しました。自作品を提供するだけですから大きな負担はありません。それよりボクの作品が落札されるかだけが気がかりでした。出品後に立派なパンフレットが送られてきました。開くとウイリアム・クライン氏や森山大道氏などの名の知れた写真家も参加されているのを見て、無名のボクの写真を買ってくれる人がいるのかと、ますます心配になりました。
 そんなことも忘れかけていた頃、オークションの結果報告がメールされてきました。それによると購入されたとのことで、購入者の名前と住所も記されていました。とりあえずお役に立てて胸を撫で下ろしたというところです。同時に、日本でももっと写真が売れる土壌ができればいいなと思わずにはいられませんでした。

2013.2.17
by y-lu | 2013-02-17 09:50 | 仕事交差点 | Comments(0)

スミオのひとりごと.95 No.155    

時の重み

 ひとつのこだわりや既成概念をもっている人が、なにかのきっかけでものの見方のヒントを得、パッと視界がひらけて価値観が変わることがある。
 有名大学に入らなければ将来がないと堅く信じ込んでいた人が、受験に失敗し打ちひしがれる時がある。例えばそんな時、自分に多大な影響を与えた人が高校すら出ていない経歴を知ったりすることで学歴が総てかと今一度思案し、その考えを打ち破ることができたりする。
 若い時分にはそのような発想の転換がなかなか難しい。しかし、歳をとると自然にそういう考えができるようになる。それが時というものだ。後に振り返ればちっぽけなことなのだが、どうしてあの時はあんなに煩悶したのだろうと思う。それは取りも直さず人生の経験が足りないからなのだが、渦中にいる当人には分かる由もない。人生経験豊富な人の意見を取り入れるキャパシティもない。それが若さというものではあるが。
 だからボクは若死だけはいけないと思っている。自分においてもそれだけは何としても避けたかった。桜宮高校の生徒が自殺したが、後年あの世からどうしてあんなことをしたのだろうと思っても取り返しがつかない。あの時点で彼にとっての選択肢はこのまま我慢して在校するか、死かの二つしかなかったのだろう。退学を決断するか、あるいはそれを覚悟で顧問に対して殴り込みを決行するという選択はなかったのだろうか。
 ボクなら間違いなく殴り込む。しかしよく考えてみると、その顧問は殴り込みに来そうなやつには何十発も殴るまでの暴行は加えないと思う。反撃されるリスクのないことをよんだうえでの行為であろう。「こういう人間は最低だ」、と傍で言うのは簡単だが何の解決策にもならないし、当人はそれに耳をかさないだろう。
 何十発も殴ったら殴る方の手も相当痛くなる。そこにはもう憎悪しかない。そもそも体罰というのは、言って聞かせられない幼年期に用いるものだ。つまり基本的には保護者である親の愛情が裏打ちされていてこそやれるものであって、他人がやるものではない。この事件においてこれを用いるマスコミの言葉使いがまず間違っている。
 ここに面白いヒントがある。あるテレビで“体罰”を議論していたが、以前教師をしていたという評論家がいみじくも言った。現役の頃やはり殴っていたらしいが、ある女の子から「もっと殴れ」と返されたらしい。その瞬間から一発も殴れなくなったと言い、その後いっさい殴ることを止めたと告白していた。咄嗟に出たのかもしれないが、この女の子は相手の心理を知り尽くし、大人顔負けの戦術を労したのだ。殴る方に少しでも人間性が残っていたら、誰だってこの教師のようになるだろう。この少女は相手を諌める言葉をもっていたのだ。
 死者に鞭打つつもりはないが、自殺した少年に別の選択ができなかったのかと悔やまれる。

2013.2.15
by y-lu | 2013-02-15 23:46 | 日常雑感 | Comments(0)

スミオのひとりごと.94 No.154    

オキュパイドついでに
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 これもオキュパイド・ジャパンの頃の製品です。
 速度はあやふやですが今でもシャッターは切れます。とくに豆カメラを集めているわけではありませんが、革ケースがとてもいい状態だったので手に入れました。もうだいぶ前の話ですが。
 カメラだけや、時には革ケースがついているのも見かけますが、これほどコンディションのいいケースはあまりないようです。つまりカメラ本体よりもこちらの方に魅かれたわけです。こういうケースはけっこうありますね。(べつにしゃれているわけではありません)
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 例えばレコード本体よりも、ジャケットのほうが珍重されたりします。オリジナルのレコード・ジャケットは,再販物と較べようがないくらいその存在感は違います。革ケースと同様、どうしても傷んでしまいますのできれいなものはその価値が上がるわけです。事実ボクは、キズだらけのレコード盤に目をつぶって、きれいだったジャケット目当てで購入したレコードがあります。そのオリジナルのジャケットを飾って、再発盤で聴いています。
 話はそれましたがこれら占領下や、独立を果たした後に続く昭和三十年代の日本製品には、外国の製品に負けてなるものかという気概を感じ取ることができます。それに較べて今の日本製品は、無用な機能を付加したものばかりでまったく興味をおぼえません。またいつものグチで出たところで退がることとします。

2012.2.6
by y-lu | 2013-02-06 12:15 | 日常雑感 | Comments(0)

スミオのひとりごと.93 No.153    

時の忘れ物
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 “MADE IN OCCUPIED JAPAN”と刻印されていました。
 擦れきった革ケースに小さな双眼鏡が入っていました。オペラグラスといってもいいくらいの9センチくらいの大きさです。これでもきれいになったほうですが、手に取った時は使い物にならないのかなと思いました。しかしよく点検してみると決定的な欠陥はなかったので、レンズを取り外して清掃し、鏡胴の表面についた経年の汚れを拭きました。
 緑青が浮き出た鏡胴に黒塗装をしようと思っていたのですがやめました。このままの方が雰囲気がでていいと思うのです。刻印をみるとオキュパイド・ジャパンの頃の製品でした。見る度になぜかしみじみと心にしみこんできます。占領下の頃は、ボクの世代では幼少期にあたります。祖父母の家で育てられていたボクは、たまに遊園地などに連れられた時には、電車の車窓からや外出先で米占領軍をよく見かけました。MPと書いたヘルメットの軍人を目前にすると「MPや」と祖父が言っていました。当時は勿論、知る由もなかったのですが、Military Policeの省略です。まあ、そんな時代の品物です。
 こんな「時の忘れ物」のような双眼鏡がどうして手元にあるのかといいますと、その他大勢でくっついてきたからです。カメラ類をオークションで落札したもののなかに紛れ込んでいました。擦れ汚れた革ケースに収まっていたので最初何か判りませんでした。開けてみるとこれが出てきたのです。
 まだまだ充分使えます。小さいのでポケットに入れられるのがいいです。このところ競馬場にはとんと足を運んでいませんでしたが、これを持って行ってみようかという気になってきたところです。

2013.2.1








 

 
by y-lu | 2013-02-01 11:46 | 日常雑感 | Comments(0)