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前田義昭という名の写真人の独白

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スミオのひとりごと.10 No.71

嘘も百回言えば…

「嘘も百回言えば本当になる」とは、ヒトラーの片腕パウル・ヨーゼフ・ゲッベルスの言葉だ。
 ナチス・ドイツの宣伝相ゲッベルスのこの言葉は、今では知らない者がいないほど有名だ。余談だが、多くの会員を擁する某宗教団体が、この手法を常套戦術にしていると巷間で喧伝されている。
 戦時中の独裁政権にあって、プロパガンダを一手に担い、国民をマインド・コントロールする任務にあたっていたのがゲッベルスだ。彼にとってこのくらいの発想は、異常でも何でも無い事は想像に難くない。異常を異常でなくしてしまうのが戦争であり、その状況下では何でもありになるところが怖い。
 ところが平和な現在で、司法の場においてもこの言葉は息づいている。真実を明らかにする厳かな場であるはずの法廷で、平然と嘘が罷り通っている。ただただ自己の利益に固執するために、嘘をつく事に何のためらいも無いのである。これは勿論、争っている当事者だけではなく、その利益を擁護する弁護士もそれを容認し代弁している。まさに「嘘も百回言えば本当になる」を実践すべく、最初から最後まで嘘を貫き通すのである。誰でも子供の時に「嘘は泥棒の始まり」と教訓を受けたはずだが、これらの人たちの頭には、この欠片も無い。
 嘘をつく事くらいは序の口だとばかり、次には懐柔策に打って出る。自分に不利な証言をした人たちに対して当初の証言を封じ込めさせ、自分に有利な嘘の証言をするように持ちかける。交渉の上何らかの取引が成立すると、懐柔された人たちは前言を翻して、機関銃を撃つ如く嘘を放ち始めるのだ。まさに狂ったように。
 映画やテレビのドラマとまるで同じだ。劇中では、昨日まで言っていた事と真逆の発言をするシーンをよく目にするが、実際の裁判でも行われているのだ。
 残念ながら「嘘も百回言えば本当になってしまった」事件も現実にある。そうならないために、事実か虚偽かを見抜く事ができる裁判官の慧眼が不可欠である。
 真実の砦である法廷だけは「悪貨は良貨を駆逐する」場であってはならないと思う。

2009.11.19
 
 
by y-lu | 2009-11-19 12:58 | 日常雑感 | Comments(0)

スミオのひとりごと.9 No.70

観るに堪えないテレビばかりだが、面白いテレビもあるにはある

 今のテレビは観るに堪えないものばかり。
 リモコン・ボタンを押せば、各局バラエティー番組ばかりで無能タレントが、自らの楽屋話をネタにお互いをつつきあっている画ばかりの金太郎飴状態だ。それ以外の時はたいがい食べ物を食べている。タレントやレポーターが大口を開けて恥も外聞もなく食べ、決まりきったセリフが「おいしい」である。なかにはおいしくない食べ物だってあるはずなのに「おいしい」だ。こういうのをアホの一つ覚えという。
 関西弁で「味の万国博や〜」と食感の表現を売り物にしている芸人がいる。それを自分のギャグにしているのであるが、その分を差っ引いても「おいしい」よりは数段ましだ。
 本来他人の前で、食べるという行為自体恥じらうべきなのに、全国ネットのテレビで事も無げに食って羞恥心の無さを曝け出す。外国の旅先でもテレビを観るが、こんなにテレビで物を食ってる映像をこれでもかこれでもかと垂れ流しにしている国は、恐らく日本くらいのものだろう。
 さらには、バカを売り物にするタレントたちが現われたのには驚いた。勿論、ヤラセであるのは百も承知だが、世も末である。本人はもとよりスタッフさえ羞恥心のかけらもない。かつて、大宅壮一が一億総白痴化と言ったが、その上総幼稚化も起きている。
 いつか書いたが(今はNO FOUND)、テレビの草創期の方がハードの技術は劣っていても、番組内容は余程素晴らしいものがあった。当時の新媒体への情熱が画面から感じられたものだ。録画などできなかった時代だから、その緊張感は観る者にも伝わってきたのだろう。
 そうは言ってもつまらない番組ばかりではない。
「世界ふれあい街歩き」(NHK)という番組の映像は新鮮だ。放映時間が遅いこともあって眠ってしまい、見逃すこともある。ただ単純な街歩きの映像だが、観たときは実にいい気分にさせてくれる。
 他の紀行番組と少し違うところは、あくまでも旅行者の視線(目線ではない)に徹していて、目的を感じさせずに、あても無く街をブラブラ歩くという設定がいい。勿論、それなりの計算がなされていると思うが、それをあまり感じさせない。そこが世界遺産の旅とか食物紀行とかの違いだろう。
 路を歩けば色々な人が歩いている。すれ違った人との何気ない会話や、ぶらっと店に入ればそこで交わす会話がいい。ナレーションは毎回違ったタレントが担当している。タレントが直接行かず、あくまでもカメラが視聴者のつもりで動いているところが新鮮さを感じさせるのだ。
 この前再放送でサンフランシスコの街をやっていた。九十年くらい前の旧い映画館を見つけて、館内を巡り現在の館主とのトークなんかが面白かった。他の紀行番組にはない、その場の自由な空気感が伝わってくるのが気に入っている。
 ボクのように街のブラブラ歩きが好きな者にとっては、歓迎すべき番組だ。

2009.11.16
 
by y-lu | 2009-11-16 14:49 | 日常雑感 | Comments(0)

スミオのひとりごと.8 No.69

横綱のあり方

 前回、大関について書いたら横綱についても書きたくなってしまった。
 ここ数年、横綱の品格をめぐって朝青龍に対する議論が喧しい。朝青龍はモンゴル人だからそれを斟酌してやれという声もある。しかしながら、日本の国技大相撲の最高位である横綱になったのだから、日本人力士と同様の見識において、それを問われるのは当然の事である。かつてアメリカ(ハワイ)人の横綱もいたが、朝青龍ほど物議をかもさなかった。
 朝青龍が横綱に見合う実力を備えているのは衆目の一致するところだ。問題は横綱としての品格が有るや否や、という一点が議論を呼ぶところとなっている。
 前回も書いたが、かつての横綱は免許を得た大関に与えられた名誉称号で、どの大関にも授与されるわけではない。従って横綱になることを“綱を張る”と表現し、純白の綱に幣(ぬさ)を下げて土俵入りができるのである。その様態から神格性を感じさせるところが、他の大関とは差別化されている。その辺が、現在の昇りつめた地位としての横綱との違いである。
 元々そういう意味の横綱であったから、強いだけではなく一種、神としての厳かな品位を身につけなければいけないものと考えるのが自然だろう。
 その点で朝青龍が横綱としての品格が備わっていず、力士の鑑と評価されていないのは、まぎれも無い事実である。怪我を理由に巡業をすっぽかして故郷でサッカーに興じたり、優勝が決定した時のガッツポーズやマスコミへの傍若無人な対応、稽古場での横綱らしからぬ態度など様々な指摘がなされている。
 この原因をつくった第一は、本人以前に師匠である高砂親方であるのは論を待たない。恐らく弟子からこれほどないがしろにされている親方は、初めてではないだろうか。親方自身、指導する立場という自覚がなく、そこから威厳など出て来るわけがない。大相撲の指導者ならば、弟子には厳しさが必要であり、また個々に差をつけてはならない。もっと厳格な親方の部屋にいたら、違った朝青龍が誕生していたかもしれないと思う時がある。
 この前、テレビをみていたらガッツポーズをとるくらいは、とやかくいわなくてもいいのではないかと、作詞家のなかにし礼氏が発言していた。ボクはとんでもない事だと思う。嬉しいのは解るがそういう形で表現するのではなく、ぐっと内面からかもし出すのが相撲の美学なのだ。怪我をおして武蔵丸に勝ったあの貴乃花のように。
 土俵上で、まわし一つでの万歳ポーズはどう見てもそぐわないし、第一に絵にならない。そこが他のスポーツと違うところで、そんなものを観客は見に来ているのではない。一家言ある同氏の、この的外れな発言は不釣り合いだと思った。
 イチローでさえガッツポーズする姿を見た事がない。今年、大リーグの9年連続200本安打の大記録を達成した時でさえ、ヘルメットをとって静かに観衆に応えたくらいである。むしろ武士道的な美学を一番理解しているのは、他ならぬ野球のイチローかもしれない。
 大相撲はスポーツ欄で報道されるので、他のスポーツと渾然一体に扱われている。相撲においては、勝負だけではなく日本の伝統ある美や文化として捉えるべきである。それが厳然としてあったから今も廃れずに続けられているわけで、ある意味において歌舞伎と共通項があるのではないか。勝負と様式の二面性を兼ね備えていることへの価値観を認識すべきである。
 さすれば横綱というものを、どのような位置づけにすれば良いか考えてみたい。
 ヒントは冒頭にも書いた大関が最高位だった時代にある。横綱は大関に与えられる名誉の称号だと書いた。しからば現代でも、横綱の中で実力と品格に抜きん出ている横綱を別格扱いにする考え方だ。
 プロ野球は各球団に背番号の永久欠番がある。これに倣って引退した時点で、横綱の特権のなかに“永久四股名”か“永世横綱”のような名誉称号を与えてはどうかと思うのだ。いくら強くても強いだけでは適格ではないとする、誉れ高い称号だ。
 “永久四股名”は永久欠番と同様、以後同じ四股名を継ぐ事ができないとする。“永世横綱”は横綱の上に永世の冠を与える。それらの名誉ある称号を付けて並の横綱と区別すべきである。このような観点に立てば、朝青龍に称号を与える根拠は見つからないだろう。
 成績抜群で最高位に昇りつめても、名誉称号を与えられた横綱とそうでなかった横綱がいることについて、後世の人がそれぞれの思いを馳せることができるのではないだろうか。
 これは付け足しだが、引退した横綱にも平幕と同様に協会の仕事を一からやらせている。これは悪平等というもので、元横綱が通路でパイプ椅子に座って下積み仕事をやっている姿を見て、横綱の権威って何だろうと思ったのはボクだけだろうか。

2009.11.9
 
by y-lu | 2009-11-09 10:25 | 日常雑感 | Comments(0)

スミオのひとりごと.7 No.68

大関ほど素敵な商売はない

 本年最後の九州場所が十五日から始まる。
 朝青龍の言動がマスコミを騒がし、横綱の権威についてファンや専門家の間で様々な議論が展開されているが、ここでは大関を考えてみたい。
 言うまでもなく大関は横綱に次ぐ地位だが、江戸時代においては最高位だった。横綱という呼称はあったが、それは地位ではなくすぐれた大関に与えられる称号だった。
 雷電為右衛門という伝説の力士がいた。生涯の成績は285戦、254勝、10敗、引分2、預り14、無勝負5、休み30回。優勝26回(内全勝24回)と無類の強さを発揮した。勿論最高位の大関だったが、どういうわけか雷電には横綱の称号は与えられなかったという。
 前置きはこの辺にして、今の大関について思うことがある。千代大海、魁皇、琴欧州、琴光喜、日馬富士の五人が大関の地位についている。今の大関が不甲斐ない成績を続けていることに批判は多い。相撲通は、横綱に昇ろうとしている頃の大関が一番充実していて強いと言うが、たしかにそうかもしれない。日馬富士が、それに当てはまると思われたが、少々足踏みしているようだが、いずれその段階が来るに違いない。
 その観点からみると、千代大海と魁皇は明らかに横綱を狙う大関ではないと万人が認めるのではないだろうか。大関というのはあくまでも、横綱への最終ステップであって安住する地位ではないはずだ。かつて先代貴乃花はくんろく(9勝6敗)大関と揶揄されたが、今の二力士はそれすら及ばない。
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 ここ五場所での両大関の成績をみると、千代大海は8勝7敗、2勝13敗,8勝7敗、8勝7敗、2勝9敗4休で14度目のカド番をむかえている。戦後の大相撲界で唯一10年以上にわたり大関を維持する記録をつくったが、これは喜んでいいのか悲しんでいいのか判らない。9月場所の成績で、横綱審議委員会委員の石橋義夫氏より引退勧告を受けたらしいが、現役続行を表明した。
 次に魁皇だが、ここ五場所は計ったようにすべて8勝7敗だ。九州場所で幕内在位98場所となり、歴代単独1位になるそうだ。平幕力士なら健闘を讃えられるが魁皇は大関である。逆に言えば、横綱になれなかった故の記録である。2004年9月場所に5回目の優勝を遂げ、翌場所は横綱のチャンスがあったが叶わなかった。もし横綱になっていれば、その後の成績から引退せざるを得なかったはずだ。カド番は千代大海に負けず劣らず12回を経験している。
 これらをみても、横綱の望みはないのに恥じも外聞もなく、何故にここまで大関の地位にしがみつくのだろう。こう言った方がいいかもしれない。横綱になれないしなろうともしないからしがみついているのだと。
 ひとつの根拠は給料にある。現行の横綱の給料が282万円で、大関が234万7千円である。その差はわずか47万3千円で、実力の差をそのまま反映していない。この程度の差なら万年大関の方が居心地がいいはずだ。横綱になってしまえば、やれ品格だの成績だのとすべての面で厳しさが求められ、後は引退が待っているだけである。
 その点大関は、横綱に較べれば格段に責任が小さいし、成績が悪ければ地位が下がるので、文句は言われない。8勝7敗で何とか勝ち越し、カド番になったら何とかしのいで、ただ長くやっているのが一番問題だ。積算すれば、早くやめる横綱の収入を上回ることも可能だ。世間の非難を馬耳東風と吹き流せば、こんな素敵な商売はない。サラリーマン大関はやめられないというわけである。
 もちろん両力士は、恣意的にこのような大関を目指したわけではないと思うが、結果的にそのようになり、それに甘んじているのである。スポーツ選手にとって、その地位を誇示するのは年俸だ。プロ野球の選手たちが、あれほど年俸にこだわるのはそのためだ。
 こんな大関を大量生産する弊害を無くすために、横綱と大関の給料の差を決定的に大きくすべきだ。たとえば横綱を500万円くらいに上げて、大関は180〜200万円くらいが妥当だろう。そうすれば大関に安住しようと思わないで必死に上を目指すはずだ。横綱は収入でも別格だと認識させなければ駄目だと思うのだ。
 横綱というのは、大関以下の力士と違って麻の綱をつけ、露払いと太刀持ちと共に土俵入りをやる。それは非常に象徴的な差異である。競馬だって1着と2着では決定的に賞金が違い、2着は1着の半分以下である。実力の世界では、最高位にはもっと敬意を払うべきである、というのがボクの言い分だ。寄合い所帯の互助会では発展はない。
 因みに、大関伝達式で使者に返した二力士の口上だ。
 千代大海 大関の名を汚さぬよう相撲道に精進、努力致します。
 魁皇   大関の地位を汚さぬよう稽古に精進します。

2009.11.5
 
by y-lu | 2009-11-05 16:35 | 日常雑感 | Comments(0)

スミオのひとりごと.6 No.67

分身夏原悟朗

「夏原悟朗の日々」というタイトルの短い小説をブログで連載している。
 ご覧になった方もいらっしゃるかもしれない。小説だけではなく写真も入れて、自己スタイルの「写真+小説」形式で発表している。ジャズに愛着を持つ人たちが夏原の店に集い、彼等が織りなす会話を通して、ジャズ・レコードを紹介するという、ま、言ってみれば他愛無い作文だが。
 “当世時代遅れジャズ喫茶店主”と銘打っているので、店主夏原のキャラクターは大体お判りいただけるだろう。嘘は言えず曲がったことが嫌いな、文字どおり昔気質のジャズ喫茶店主だ。夏原はおおむねボク自身を投影しているが、勿論100パーセントではない。ボクと同世代の価値観を集約する人物と受け取ってもらってもかまわない。だから今の風潮からすれば、“当世時代遅れ”なのだ。
 その人物像を具体化するならば高倉健だ。健さんが映画で演じた役柄を思い浮かべてもらえれば、ほぼ想像してもらえるのではないだろうか。健さんに例えるとは、おこがましいとほとんどの方が思われるだろう。ボクが健さんのようだと言っているわけではないので、そのへんは誤解のないように。
 夏原のジャズ喫茶“サマーフィールド”は、芝浦の運河が交差した地点のすぐ脇にある。ブログを読んだ人が本当にあるのかと思って、探しに行ったという話もあるやなしや。勿論、実際にあるわけではないのでそう思っても、どうかそこで踏み止まっていただきたい。
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 そんな店だから毎日暇だ。四、五十年前のジャズ喫茶ならいざ知らず、立地条件も悪い夏原の店に通う客はごく限られた人たちだけだ。好きなジャズを仕事として聴けるのが、続けているたった一つの理由だ。自分一人と二匹の猫が、辛うじて食いつないでいる状況に変わりはない。
 いつまでもレコードばかりかけるのは止めて、ライヴをやったり食事を提供したりして今風の店に衣替えしてはどうかというお客もいるようだが、頑としていままでのスタイルを守り続ける夏原像を、ボクは貫いている。
 フリーターのヒゲ村、そしてスタイリストのスミちゃん、銀行員のマジ村、正体不明のカラヤン、アートディレクターの海雲堂、ヒゲ村の友人のヤッサン、学生の北見、獣医の山下、カメラマンの正木などが夏原の店の主な常連である。彼等は夏原を慕っているし、夏原も彼等を慕っている。彼等は今の店のスタイルが好きなのだ。だから夏原はそれを壊そうとは思わないし、そんな話には一切耳を貸さない。
 ここまで読むと、夏原というのはどこからみてもやはり高倉健的だなと、納得されるだろうか。ある日、この話が映像化される妄想がふくらんできた。当然、配役のイメージも具体的にふくらんできた。勿論夏原は高倉健以外になし。だから健さんにはここ当分、死んでもらっては困るのだ。夏原の年齢は六十過ぎだが、健さんは若く見えるのでいいだろう。八十歳になっても大丈夫だ。
 ヒゲ村のイメージは平田満がぴったりだが、フリーターとしてはちょっと歳をとりすぎているので、今の若手でさて誰がいいだろう。スミちゃんは桃井かおりで決まりだ。これもスミちゃんの年齢設定よりは大分歳をとっているが、健さんと同様、若く見えるのでいいだろう。あの巻き舌で喋る役柄にぴったりだ。後の人たちの役柄は皆さんに想像してもらうのもいいだろう。また、自分だったら夏原は誰がいいとか勝手にイメージしてもらうのもいい。
 何だか取りとめもない話に展開してしまったが、要はジャズ好きにはたまらないブログだと、自分で宣伝したかっただけ。

 こんな店ですが、一度訪ねてみようと思われた方はぜひ、夏原の店“サマーフィールド”へ。「夏原悟朗」で検索していただければですぐにでもご来店いただけます。

2009.11.4
 
 
by y-lu | 2009-11-04 16:46 | 仕事交差点 | Comments(0)

スミオのひとりごと.5 No.66

野球が存在した日

 前回、日本野球を憂う記事を書いた。小さい頃からの一野球ファンとして今日の落日ぶりは想像もできなかった。地上波のテレビで、巨人戦ですら放映されない日が続くようになって久しい。
 この記事を書いた後、ボクの脳裡にある一日が甦ってきたのだった。それは野球の醍醐味をこれでもかこれでもかと見せつけてくれた忘れられない日。言わばボクにとっての“野球記念日”である。
 1988年10月19日。もう野球ファンならお判りだが、伝説のロッテ対近鉄戦である。普段はパシフィックの試合をほとんど見ないボクであっても、何か見えない力で背中を押されるようにして川崎球場に向かった。勿論この球場は初めてで、思い出すのは阪神の佐野外野手が捕球の際コンクリートの外野フェンスに激突して大怪我を負った試合だ。
 そんな出来事もあった川崎球場だが、後世に語り継がれる舞台になるなどとは誰しもが思っていなかっただろう。すでに長蛇の列だったが、ボクは何とか三塁側の内野席券を得る事ができた。スタンドを見渡すとそれぞれの席に陣取った観衆が、今か今かと試合開始を待っていた。ボクの横の席にいた人は、ビア樽型をした特大の缶ビールを持ち込みすでに酩酊状態だった。結局、この人は試合が始まった頃から終わりまでほとんど眠っていた。
 この日はダブル・ヘッダーが組まれていて、この日の2試合に近鉄が勝てば逆転優勝になり、その瞬間をひと目見ようと、ロッテの本拠地にこれだけの大観衆が集まったのだ。
 試合規定は、第1試合は延長戦なしで9回で試合打ち切り、第2試合は試合開始から4時間を経過した場合はそのイニングで打ち切りという事を後に知ったのだが、第2試合の規定が近鉄に重くのしかかってくるとは、球場を埋め尽くした人の誰もが予期できなかった事だろう。   
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                    (レフトの守備につくのは、かつて巨人にも在籍した淡口選手)
 
 近鉄が優勝する条件は連勝以外になかった。ボクは数々のプロ野球を観てきたが、これ程スリリングでどんでんがえしを繰り返した試合は今に至るまでない。野球とはこんなにも面白いものだという事を、この試合でいやと言う程見せつけられたのだ。この日の川崎球場は、野球というものが確実に存在していた。
 第1試合は午後3時試合開始。資料を見て分かったのだがダブル・ヘッダーの割には開始時間が遅かった。この時から息をもつかせぬ攻防が、2試合計7時間33分に渡って繰り広げられた。川崎球場の堅いイスに座っていても、まったく時間の経過を感じないほどで、野球はことほどさように魅力的なスポーツなのだ。
 近鉄が1点差でものにした見所満点の第1試合だったが、更なる見所が第2試合で待ち受けていたのだった。次の試合を固唾をのんで待つ球場全体の空気は、どのように表現すれば伝わるのだろうか。静かでもなく騒ぐでもなく、表現のしようがない異様な熱気が球場に張りつめていた。それにもかかわらず、ビヤ樽の御仁は熟睡の境地にあった。このおかしげな対照もこの一戦に妙なリアリティーを与えていた。この御仁も伝説の試合に立ち会っていたのだと誇らし気に言うのだろう。
 それも良しである。試合終了に合わせたようにビヤ樽の御仁は目を覚まし、異様な周囲の光景を見渡した。時間切れ引き分け対する憤懣やる方ないファンの嘆き声のるつぼの中に、やっと合流できたのである。しかし、9分間に渡るロッテ有藤監督の抗議に対する憤懣が爆発している状況であることは知る由もなかった。
 第2試合で、後々まで語り草になった大きな要因のひとつは、走塁妨害をめぐっての抗議だ。あざとい時間稼ぎに見える長時間の抗議を誰もが叩いた。タッチ・プレーの判定が覆らないのは有藤監督自身が一番よく知っているはずだ。ここで執拗な抗議をすれば近鉄ファンは勿論、全国の野球ファン、そしてロッテファンでさえも敵に回してしまうのだ。何せこの時点で、テレ朝のニュース番組は急遽生中継に切り替えていたほどだ。
 それ程までに長時間の抗議をした監督の胸の内に何が去来していたのか。この年のロッテは最下位で、仮に判定が覆ったとしてもメリットはない。武士の情けでさっと引き上げ、試合を続けた方が賞賛されるに違いない。あえて悪役をひきうける執念の抗議をさせたのは何だったのだろうと今も思う。
 結局、試合規定の時間切れ引き分けで近鉄は優勝を逃した。試合後、ファンにあいさつする監督をはじめナインに惜しみない拍手がおくられた。悲劇性が加味したことによって、ある意味優勝以上の感銘を与えてくれたと言っても言い過ぎではない試合であった。
 現在、日本ハムの監督として日本シリーズの指揮をとる梨田監督の、選手として最後の年でもあった。第1試合において代打で決勝打を放った梨田は、あの打席を最後にしたいと引退試合を辞退したそうである。悲劇の監督になった仰木監督は、もうこの世にいない。
 21年前の、野球ファンにとって忘れられない一日である。
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             (9回裏走塁妨害をめぐって、ロッテ有藤監督の長時間の抗議に騒然とする場内)

2009.11.3
by y-lu | 2009-11-03 14:26 | 日常雑感 | Comments(0)

スミオのひとりごと.4 No.65

おかしな日本野球

 折しも巨人と北海道日本ハムの日本シリーズが熱戦をくりひろげている。 
 日本シリーズの出場権をかけてセ・パ両リーグの1位から3位のチームがステップダラー方式で争う試合を、クライマックス・シリーズと称して、2007年から実施されるようになった。セに先んじて、パでは2004年からポスト・シーズンにシリーズの出場権をかけてプレー・オフを行っていた。そして、2007年からセも足並みを揃えたわけだ。
 ボクはこのしくみにとても違和感を感じている。
 日本一をかけて争うシリーズの意義が失われたと思う。各リーグの最強チームが戦うからこそ日本一の称号が与えられてきたのではないだろうか。最強チームとは、言うまでもなくリーグ優勝したチームである。今年のシリーズは、セの優勝チーム巨人とパの優勝チーム日本ハムが戦う事になったので、結果的には従来の形で日本一を争うことになったが、クライマックス・シリーズが始まった2007年の初っぱなには、リーグ優勝した巨人ではなく、2位の中日が日本シリーズに出場した。
「これはおかしい」と感じたのはボクだけではないだろう。シーズンで戦った144試合は何なのだろうと思った。シーズンを通して戦い、せっかく勝ち取った優勝とは何なのだろうと。
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 それに加えて、前代未聞の珍事が起こる可能性があったのが今年のセだった。1位の巨人は勿論、2位の中日も勝ち越しているのでこの方式を採用している以上、シリーズに出ても許せるが、問題は3位の東京ヤクルトだ。
 このチームは、阪神との3位争いでクライマックス・シリーズへの挑戦権を勝ち取った。3位争いでそれなりに盛り上がったのは事実だ。しかし問題は、どちらが3位になったとしてもシーズンを負け越したチームという事だ。ちなみにヤクルトの成績は71勝72敗1分。もしヤクルトが中日、巨人を破って日本シリーズに出場し、日本ハムを制したとしたらどうだろう。リーグで負け越したチームが、日本一の称号を与えられる事になる。
 結果的にはそうならなかったが、そうなる可能性はあった。もしそうなっていたとしたら、ヤクルト高田監督の心中はどうだろう。
「これでいいの。負け越しチームが日本一で」と言うか言わないかは知らないが、素直に喜べないのではないだろうか。場合によっては、ヤクルトとソフトバンクの3位同士の日本シリーズもあり得たのだ。そんな馬鹿げた事態が起こりうるクライマックス・シリーズというしくみは、誰が考えてもまったく理に叶っていないという事になりはしないか。
 消化試合を少なくし、ポスト・シーズンの試合で興行収益のアップと、ファンの興味をつなぎ留めたいという目論見で発案したのだろうが、スポーツの本質を見誤ったこの方式は、野球を衰退こそさせ興隆させることはないと断言できる。クライマックス・シリーズは、日本球界の歴史における大いなる汚点で、自ら墓穴を掘ったと評さざるをえないのではないだろうか。
 ボクは、野球人気の窮状を救う案は、こんな小手先の方策ではなく、アジア・リーグを創設する以外にないと思っている。WBCで見せた韓国の野球力は、日本とほとんど遜色が無い。まずその前段階として、韓国一のチームと日本一のチームが相まみえる日韓シリーズをやることだと思う。これが実現すれば、WBCを例に出すまでもなく日韓の野球ファンにもろ手を挙げて迎えられるだろう。もしそうなれば、負け越しチームを日韓シリーズに出すわけにはいかないので、たわけたこんなシリーズなど雲散霧消するに違いない。そういう発想から照らしても、クライマックス・シリーズがいかに馬鹿げていて、正道ではないかが判るだろう。
 次のステップとして日韓、さらには台を含めたチームで2リーグ制でやると、野球人気が復活し成功するに違いない。これらの国は近いので、移動時間の問題はまったくない。東と西で相当の時差があるアメリカでさえクリヤされているのだから。
 実現のための障害はそれほどないと考えられる。一に、両国間の野球関係者や政治家のやる気にかかっている。

2009. 10. 2
by y-lu | 2009-11-02 08:23 | 日常雑感 | Comments(0)