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前田義昭という名の写真人の独白

白鵬は賞賛される横綱か —スミオのひとりごと275 No.375—

 白鵬は以前、不世出の名横綱双葉山を尊敬し一歩でも近づきたいと話していたのをみたことがある。
 なんとも立派な志だと感心した。もし、その双葉山が昨今の白鵬の相撲を観たらどう思うだろうと考えた。魁皇の通算勝利数を抜いて一位になったことや優勝回数の多さを手放しで褒めてくれるだろうか。否である。むしろ苦言を呈するだろう。
 テレ朝の玉川が白鵬が張り手を連発するのを肯定する発言をしていた。その理由は張り手は技のうちの一手であるからだという。たしかに張り手は禁じ手ではないし横綱が使っていけないことはない。ルール上問題ないからというのは相撲が分かってない者の発言だ。力士間のこころのうちでは張り手はそうそうだすものではないという暗黙の了解があるはずだ。なぜか。相撲の美学に反するからだ。
 また、相撲は格闘技で一番強いと思っているととんちんかんな発言をしていた。立ち合いの瞬発力では相撲が一番破壊力があると思う。それはとりもなおさずこの競技は短時間で勝負がつくものであるからだ。そもそも他の格闘技と同列に扱うこと自体が意味のないことである。相撲はスポーツだけではとらえられない日本の伝統文化という側面がある。神事として親しまれてきたことを忘れてはいけない。
 相撲は技の応酬があってこそ観客は魅了される。だからこそ両者の技の攻防が続いて動きが一息ついたとき観客の大きな拍手がわき起こるのだ。そもそも張り手を使う時は、タイミングというものがあってカウンター的に使ってこそ有効な手である。張り手は文字どおり相手を張ることであり、技の一種とはいえ暴力と紙一重のところにある。時々脳震とうを起こさせて立ち上がれないほどダメージを与える。観ていてもあまり美しいものではなく本来の相撲道に相容れないもので精神にも傷をつける。だから格下の力士が横綱に対して張り手を使うのは逡巡するものだ。
 それを力上位の横綱が下位の力士にバチバチやってどうするのだ。対戦相手も感情的になって張り手で応酬しだしたらどうする。両者がカッとなって相手がノックダウンするまでやったらどうする。そうなるともはや相撲ではなくなる。白鵬はこれだけではなくエルボーで相手をかちあげたり、立ち合いで飛び気味の相撲を平気でとる横綱だ。また、この何場所かはやらなくなったが、勝負のついた相手を土俵下に突き落としたりして罵声を浴びるようなことをしてきた。勝負俵を踏んではいけないのにそこで足踏みをやって止めようとしない。両手を挙げて観客に向かってバンザイをする。
 そこからうかがえるのは勝てばいいという考えだ。女子供 (失礼な言い方だが) には受け入れられるかもしれないが、相撲通には受け入れられない。金の亡者という言葉があるが白星の亡者と化している。同じ白星でも誉められる白星とそうではない白星があることが分っていない。そして記録をつくれば一目置かれると勘違いしているのではないか。昔はそうではなかったが、どうして変わったのかわからない。今は朝青龍よりも酷い。モンゴル出身だからとはいいたくない。同じ出自でも立派な土俵態度の力士はいる。白鵬個人の問題である。
 親方をはじめ理事長が厳重注意をした上で、もう一度教育しなければいけない。それをやっていないのか、白鵬が聞く耳をもたないのかは判らない。注意をしても止めないのであれば名誉にかけて協会が引退勧告をすべきである。

2017.7.27











by y-lu | 2017-07-27 07:12 | 日常雑感 | Comments(0)