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前田義昭という名の写真人の独白

スミオのひとりごと.1 –No.62–

 住環境でふと感じた事、二題。

「スミオとコトジ…」も一巡し、コトジも死んだので今月からタイトルも「スミオのひとりごと」と変更して続けます。 

 ボクが住んでいる街は芝ですが、近くに増上寺があります。
 この前をボクはよく自転車で通るのですが、いつも気になっている事があります。門前の字です。内容もさる事ながら、いつ見ても字がとても上手で唸ってしまうのです。どこの寺でもたいがいこのようなボードがあり、それぞれ月のことばが書いてあります。芝はけっこう寺が多いので、通る度に見るのですが増上寺ほど上手な文字を未だ見た事がありません。
 誰が書かれているのかは知りませんが、一度聞いてみたいと思っています。ボクと同様の思いをしている人が恐らくいるはずです。そんな時に聞いたりしているのでしょうかね。外部の人に頼んでいるとは思えませんので、寺の人が書いているはずです。
 本来は書かれている内容の方が重要視されるべきなのに、ボクのように文字そのものに興味を示す人間もいて、そこがまた面白いところでもあります。世の中には、この事例のような事が往々にしてあります。
 例えばどこかに旅をして、目的の温泉や旅館よりも、ローカル線の旧い電車や駅舎の方により興味をもってしまうというような事です。付随的なものに面白さを見つけてしまうんですね。このように予期できないものに遭遇して何かを発見するのは、人生のなかで大事な事です。そんなところに感性を向ける能力を身につけるのは、自己を磨くのに有益であるとボクはいつも思っています。
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 芝浦も目と鼻の先です。
 ここでボクが猫に餌をやっている場所のすぐ側に、夏みかんの樹があります。餌やりは行きがかり上、止める訳にいかず毎日行っています。それこそ雨の日も嵐の日もです。
 夏みかんは、今ではくだもの屋で見かける事はなくなりました。色んな種類の柑橘類が沢山出ていますので、酸っぱい夏みかんは敬遠され、甘くて口当たりのいい他のみかん類が受け入れられるからでしょう。
 去年でしたか、強風の翌日にいっぱい落下していたので、持ち帰りました。昔のようにやってみることにしました。ボクが子供の頃、祖母がやっていた夏みかんの食べ方です。何も難しい事はありません。みかんの身だけ取り出してコップに入れ、そこに砂糖をたっぷりまぶしてスプーンで押しつぶします。これだけです。
 果汁がたっぷり出て、それをひと口食べた瞬間、昔がよみがえってきました。非常に懐かしい味でした。こういう食べ方をすると本当においしいのに、あまり獲る人もいません。
 今年はだいぶ持って帰りました。この美味をひとり悦にいって食べています。身の回りを見ると、これに類した事例がいっぱいありますよね。もったいない。
 日本人の美徳であった「もったいない」精神が、黒人の女性から発せられて逆輸入して使っているなんて、情けないもんです。
 写真の猫はミケちゃんです。釣り針を足にひっかけられて瀕死の状態だったのです。今はこのとおり元気です。スミオのひとりごと.1  –No.62–_c0179267_14564141.jpg
2008.12.25
by y-lu | 2008-12-26 08:11 | 日常雑感 | Comments(0)